文具店の棚の前で、「限定」と刷られた小さな札が目に入ったとき、私の手はもう財布の留め金にかかっていた。インクの色の名前を読み、軸の艶を確かめ、店の人が箱を包んでくれるあいだ、頭の片隅でも週末の買い物のことは考えていなかった。その財布には、次の週に使うつもりの食料品の分も、なんとなく一緒に入っていたのである。
翌週、喫茶店で買い物のメモを書き直しながら、私は項目をいくつか線で消した。困るほどのことではなかった。けれども、消した行を眺めているうちに、万年筆を買ったこと自体よりも、あのとき自分がどのお金で払っているのかをまるで意識していなかったことのほうが、じわじわと気にかかってきた。引き出しには、同じような経緯でやってきて、ほとんど使われていない万年筆がすでに何本も眠っている。
月替わりで続けている「買わない実験」の、その翌月の題を、私は「分けておく」にした。買わないことより先に、どのお金がどの役目を持っているのかを、目に見える形にしてみようと思ったのだ。
ひと月の仕切り
やり方は素朴なものだ。月のはじめに、手元のお金を三つに分けて考えた。家賃や食費や光熱費のように、その月のうちに出ていくとわかっている生活費。病気や急な出費に備えて、しばらく手をつけない備え。そして、そのどちらにも入らない残りを、余裕と呼ぶことにした。口座を増やしたわけではなく、手帳の見開きに三つの欄をつくり、封筒を三枚用意して、現金で持つ分だけをそれぞれに入れた。
決まりも一つだけにした。何かを買うとき、財布を開く前に、どの封筒から払うのかを胸のうちで言う。言えなければ、その日は買わない。それ以上の細かな取り決めはつくらなかった。かつて編集した節約術の本を自分で試し、三か月で投げ出したことがあるので、決まりごとは少ないほうが続くだろうと考えたのである。
封筒の手ざわり
ひと月が終わって、手帳を見返した。まず、はっきりしていたのは、店先で迷う時間がわずかに長くなったことだ。どの封筒から、と頭の中で言おうとすると、その一瞬に、今週の買い物のメモや、備えの封筒の薄さが思い浮かぶ。限定という言葉を見ても、手は留め金にかかる前に一度止まった。
ただ、正直に書いておきたいのは、うまくいかなかったことのほうだ。余裕の封筒に入っているお金を、私は妙に気前よく使った。これは余裕なのだから、と思うと、ふだんなら素通りする喫茶店の焼き菓子にも、古書店の均一棚にも、ためらいなく手が伸びた。生活費の封筒から同じ額を出すときにはまず感じない軽さが、そこにはあった。
もう一つ、備えと余裕の境目が、月の途中で何度も揺らいだ。予定外の出費があると、私は備えの封筒ではなく、余裕の封筒から埋めたくなった。備えに手をつけるのは、どこか負けのように感じられたからだ。そうして余裕が減ると、今度は生活費の封筒を少し削って余裕に戻そうとする。分けたはずのお金が、名前を付け替えながら封筒のあいだを行き来していた。
心の中の口座
行動経済学には、この揺れにそのまま名前を与えたような考え方がある。経済学者リチャード・セイラーが提唱したメンタルアカウンティング、心の会計と訳される概念で、人はお金を出所や使い道によって心の中で別々の勘定に分け、その勘定ごとに使うかどうかを判断しがちだとされる。同じ金額でも、どの勘定から出ていくかによって判断が変わってしまうということだ(UX DAYS TOKYOの用語解説)。
振り返ると、私の封筒はこの傾向の両面をそっくり映していた。分けて名前を付けたからこそ、店先で一度手が止まった。そして、分けて名前を付けたからこそ、余裕の封筒は使ってよいお金のように見えた。仕切りは判断を助けもするし、ゆがめもする。ほかの判断のクセについては、以前買い物や投資で判断がゆがむ代表的なクセをまとめた記事で書いたが、心の会計はとりわけ、自分で引いた線がそのまま自分の目の曇りにもなる点で、扱いに困る考え方なのかもしれない。
余裕という言葉
それでも、分けて考えることをやめようとは思わなかった。手帳を閉じてから、余裕資金という言葉が公的な場所でどう使われているのかを、いくつか読み直したからだ。
日本証券業協会は投資家に向けて、投資は余裕資金で行うこと、まとまった資金を一つの商品に集中させず分散を心がけることを呼びかけている。金融庁も、つみたてNISAをめぐる座談会形式の読みもので、投資は余裕資金で行うという考え方や、緊急時に備える生活防衛資金を確保したうえで投資額を考えることを話題にしている。
用語としての定義を読むと、さらに見えてくるものがあった。auアセットマネジメントの用語解説では、余剰資金(余裕資金とも呼ばれる)を、手持ちの資産から生活費や非常時に備えて残しておくお金を差し引いた、当面使う予定のないお金であり、多少減っても生活に影響を与えないお金だと説明している。
差し引いた、という言い方に、私は少し長く目を留めた。余裕資金は、先に決めるものではなく、生活費と備えを引いたあとに残るものとして書かれている。私の封筒の実験では、三つを同時に、しかもどこか余裕の欄を楽しみにしながら分けていた。順番が逆だったのである。
残りに付ける名前
お金に目的の名前を付けること自体は、多くの人がしていることでもある。J-FLEC(金融経済教育推進機構)の2025年の「家計の金融行動に関する世論調査」を引いた生命保険文化センターの解説によれば、金融資産を持つ目的として「老後の生活資金」を挙げた割合は、単身世帯で55.2%、2人以上世帯で62.3%だった。50歳代以上では「病気や不時の災害への備え」を挙げる割合も高いという。人はお金をひとかたまりとしてではなく、役目ごとに思い描きながら持っているのだろう。
だとすれば、問われているのは分けるかどうかよりも、どの順で、どんな名前で分けるかなのではないか。生活費と備えを先に確かめ、そのあとに残ったものだけを余裕と呼ぶ。そうすれば、余裕という名前は「使ってよい」という許しではなく、「なくなっても暮らしが揺らがない」という確かめに近いものになる。私が余裕資金を生活費と分けて考えたほうがいいと思うようになった理由は、ひとまずそこにある。分けることが守ってくれるのは、お金そのものよりも、そのお金が何のためにあるのかを思い出す一瞬なのだ。
もっとも、線をどこに引くかは、暮らしの形によってまるで違う。毎月の出費が読みやすい暮らしと、そうでない暮らしとでは、生活費の欄の幅も、備えの封筒の厚みも同じにはならない。私の手帳の線は、私の暮らしの線でしかない。
自分の財布のなかで、いちばん気前よく出ていくお金には、いったいどんな名前が付いているのだろう。
来月の封筒
来月の「買わない実験」では、封筒を分ける順番を変えてみるつもりだ。月のはじめに、まず生活費の欄だけを書き、次に備えの欄を書き、その二つを手帳の上で確かめ終えるまで、三枚目の封筒には何も書かない。残りが決まってから、はじめて名前を付ける。そのとき、余裕という言葉をそのまま使うのか、それとも気前のよさを誘わない別の呼び名にするのか、それもひと月かけて試してみたい。
文具店の前を通る日は、また来るだろう。そのとき三枚目の封筒がどんな顔をしているのか、次の月末に手帳を開いて、書き留めておこうと思う。